『百話語』
集まった6人の視線が僕に集まっている。
皆、責任者の締めの言葉を待っているのだ。
僕は少し咳払いをして立ち上がった。
すると――
コンコン
誰かがドアをノックした。
誰だろう? そう思うのとほぼ同時にドアが開かれる。
軋んだ音を立てるドアの影から、女生徒がそっとこちらを覗き込んだ。
「倉田さん?」
そこにいたのは僕のクラスメイトでありクラブメイトでもある倉田恵美さんだった。
どうして倉田さんがここにいるのだろう?
この取材は僕だけがするはずだったのに。
部室に入ってきた倉田さんは、その場で頭を下げる。
「すいません。こんなに遅れてしまって……」
遅れてしまった?
どういう事だ?
僕がなにも言わないでいると、新堂さんが彼女に話しかけた。
「もしかして、お前が7人目なのか?」
「はい、日野さんに頼まれて、今日ここで怖い話をするはずだったのですが……」
倉田さんが7人目だったのか。
「でも、どうしてこんなに遅れたの?」
岩下さんが険のある厳しい目を彼女に向ける。
倉田さんは僕の方をチラチラと見ながら、言いにくそうに答えた。
「その……今日の集まりが中止になると思っていて」
「中止? どうして」
なおも続く岩下さんの言葉に倉田さんは黙り込んでしまった。
「まあまあ、いいじゃないですか。
それより、せっかくなんだから彼女の話も聞きましょうよ。
いいよね、坂上君?」
細田さんがやんわりとした声で場を取り持つ。
「はい、もちろんです」
怖い話がもう1話聞ける。
僕としては願ったりかなったりだ。
倉田さんは空いている席に座ると、全員の顔を見回してから話し始めた。
1年E組の倉田恵美です。
今日は遅れてしまって本当にすいません。
私が話すのは新聞部にまつわる怖い話です。
坂上君、百物語は知ってるよね。
そう、ロウソク100本用意してみんなで怖い話をするやつ。
でも、アレって実行しようとするとかなり厳しくないかな。
たった1晩で100話も話さなきゃいけないんだよ。
6人話しただけでもこんな時間なのに100人なんて無理だよね。
でね、実はこの学校には、ちょっと変わった百物語が伝わっているの。
百話語っていってね。
百物語は何人もの人が一晩でやるでしょう。
百話語りは一人で何日もかけてするの。
用意するのは、怖い話の本100冊。
1冊丸々使った長い話じゃなくて、短い話がたくさん入った本の方がいいかな。
それと、人の形に切った紙。
紙には自分の髪の毛を貼り付けるの。
あとは夜になってから本を読むだけ。
声に出して音読するの。
簡単でしょ?
え?
簡単だけど手間がかかるのは変わらない?
そうだよね。
だから、この話を知った人でも試した人はほとんどいなかったの。
でも、昔、新聞部の部員で百話語りを試した人がいるんだよ。
名前は……えーと……思い出せないから坂上君でいいかな?
いいよね?
坂上君が新聞部にいた時にもちょうど怖い話の特集があったの。
その特集の担当が彼だったんだって。
それでね、坂上君がスクープ欲しさに手を出したのが百話語りだったんだ。
ほら、うちの学校の図書室ってすごく大きいでしょ。
怖い話の本100冊なんて簡単に集まったの。
それがこの学校に百話語りが伝わった理由なのかもね。
坂上君は、あらかじめ窓の鍵を開けておいて、夜の学校に忍び込んだ。
暗くなってからじゃないと、百話語りはできないから。
そして、昼のうちに見つけておいた怖い話の本を小さな声で読み始めたの。
夜の学校ってとても不気味でしょ。
昼はにぎやかなのに、シンとしてて。
ものすごく広い空間が真っ暗だから、自分の回り全てが闇に包まれているの。
そんな所で怖い話を読むんだよ。
宿直の先生に見つかっちゃいけないから、電気はつけられない。
想像しただけでも怖いよね。
でも、坂上君は百話語りを続けた。
怖くなかったわけじゃない。
それほどスクープが欲しかったんだよ。
なんでも、怖い話の特集は坂上君が初めて任された企画だったんだって。
だから、なんとしてもいい記事を書きたかったの。
そうして1日目の儀式が終わった。
そう、百話語りは立派な儀式なの。
遊びじゃないんだよ。
帰る時、坂上君は人型の紙を本に挟んでおいたわ。
そうそう、さっき言い忘れてたね。
切った紙は、最後に読んだ本に挟んでおくの。
理由はわからないけど、その紙が話す人を守ってくれるんだって。
次の日、坂上君はまた暗くなった校舎に忍び込んだわ。
図書室に着いた彼は、まず昨日の本に挟んだ紙を抜いたの。
……紙は破られていたわ。
ちょうどお腹の所で真っ二つになるように。
セロテープで貼られた髪の毛だけが、上半身と下半身をつないでいたの。
誰かのいたずら?
でも、もし霊の仕業だとしたら?
坂上君は怖くなったわ。
自分の背後に何かがいるんじゃないか。
右の本棚の影から誰かが覗いてる?
左のドアの隙間から誰かがこちらを見ている?
方向もわからない。
数もわからない。
でも、誰かの視線だけは感じた。
坂上君は帰りたくてたまらなかったわ。
昼には何て事のない図書室が、まったく別の空間に変わっていた。
でも、彼はその日も百話語りを始めたの。
これはすごい体験ができるかもしれない。
そうすれば、きっと怖い記事が書けるに違いないってね。
それからの夜も坂上君は夜の図書室に忍び込み続けた。
特に恐ろしい事は起こらなかったわ。
でもね、人型だけはどんどん破られていったの。
右手がなくなり、左手がなくなり、今度は足。
毎日、少しずつどこかが破り取られていった。
もし、この紙がなくなった時、百話語りが終わっていなかったらどうなるのだろう?
そう考えると止める事はできなかった。
それに、やっぱりいい記事を書いてみんなに認められたかった。
そうして何日か経ったある日の夜。
とうとう坂上君は百話目を読み終えたの。
坂上君は本を閉じて何かが起きるのを待った。
でも、なにも起きなかったわ。
図書室の中は静かなものだった。
坂上君の声すらしなくなって、なんの音も聞こえなかった。
こんなに頑張ったのにガセネタだったのか。
坂上君はガッカリして帰り支度を始めたわ。
きっと人型が破れていったのも誰かのいたずらにちがいない。
そんな事を考えながら本を棚に戻そうとしたの。
本は入らなかった。
押しても棚に入っていかないの。
もともと、ちょっときつめにしまってあったのね。
坂上君は背表紙に手をあてて、本を力いっぱい押し込んだ。
ぶちゅ。
何かがつぶれる嫌な感触が伝わってきた。
腐ってグズグズになった果物を潰したような、そんな感覚。
本の下から赤いヌルヌルとしたなにかが流れ出していた。
血の臭いがしたわ。
自分は何を潰してしまったのか?
本棚の奥にはなにがあったのか?
坂上君は本を取り出して確かめたい衝動に駆られたわ。
そっと本の上の方を持って引っ張ってみたの。
本を引き抜いた瞬間、中に溜まっていた血が流れ出てきた。
ドロッとした液体が流れ落ちて、ビシャビシャと床にたまりを作った。
坂上君はちょっと驚いたけど、勇気を振り絞って棚の中を覗いてみたの。
でも、そこにはなにもなかった。
棚や本は赤く汚れているけど、他に変わった所はなかったの。
いったいこの血はなんなのか。
坂上君はだんだん怖くなってきた。
棚の奥さえ見ればわかるはずだった血の正体が、自分の想像を超えた何かだとわかったのね。
早く本を片付けて帰ろうとしたの。
でも、本は彼の手を離れなかった。
いつのまにか坂上君の手は本に挟みこまれていたの。
開いた隙間からは血が流れ続けていたわ。
「わあああーーー!!」
坂上君は悲鳴を挙げて本を振り払おうとしたわ。
手に痛みはなかった。
でも、坂上君にはそれが余計に怖かったの。
自分のじゃなかったら、本から流れているのは誰の血なの?
本は坂上君の手を挟んだまま離れない。
その時、彼は見たのよ。
いつの間にか棚の本という本から血が流れ出ているのを……。
次の日の朝、坂上君が図書室で倒れているのが見つかったわ。
すぐに病院に運ばれて、命に別状はなかった。
手も特にケガとかはしてなかったわ。
でも、彼の意識は戻らなかったの。
意識不明のままだったのよ。
医者にも原因はわからなかった。
彼は植物状態になってしまったのよ。
坂上君になにがあったのかしら?
ところで坂上君、これっていつごろの話だと思う?
何年も前?
……実はこの話、昨日の事なんだ。
坂上君、私、知ってるんだよ。
今朝、救急車で病院に運ばれていったよね。
だから私はこの集まりが中止になると思ったの。
坂上君、どうしてあなたはここにいるの?
あなたは本当に坂上君なの?
室内にいる全員が僕を見ている。
僕の次の言葉を待っている。
「では、次の方お願いします」
「おい、ちょっと待てよ」
次の語り手を指名しようとする僕を止める人がいた。
新堂さんだ。
「坂上……今の倉田の話は本当なのか?
なんでなにも言わないんだよ?」
口調こそ強い物だったが、その声には怯えが混じっていた。
「倉田さん」
僕に名指しされて彼女はビクリと身を震わせた。
「その百話語りだけど、大事なところが抜けているよ。
百話語りで集まってきた幽霊には、また別の話を100話聞かせなきゃいけないんだ。
今度は本に頼っちゃいけない。
自力で語らなければいけない。
彼らは僕らが怖い話を続ける事で仲間を呼び寄せようとするのさ。
ほら、怖い話をすると霊が寄ってくるって言うよね?
でも、怖い話を続けるだけで呼べる霊の数なんてたかがしれてる。
その事を集まった霊にわからせなきゃいけない。
もうこれ以上怖い話を続けても仲間は来ないと教えなきゃいけない。
そのために、もう100話語らなきゃいけないんだ。
もしできなかった場合、儀式に参加した者は彼らの仲間にされてしまう。
多分、人型にされていたのと同じ事が僕の身体でされるんだと思う。
どう?
この部分は知ってた?」
僕の問いに倉田さんは首を横に振った。
必要以上に強いそのしぐさに彼女の緊張が伺えた。
「やっぱり知らなかったんだ?
僕も知らなかったよ。
もしかして、この儀式を試した人は全員、死んじゃってるんじゃないかな。
だから、この部分が伝わらなかった」
「坂上君」
荒井さんがつぶやいた。
「この部屋に異様な空気が満ちている気はしていました……。
あなたのものだったんですね」
荒井さんは気づいていたのか。
でも、もう遅い。
「僕は怖い話が苦手でしてね。
知っている話なんて10もありません。
だから、この集まりを利用させてもらったんです。
僕の変わりに皆さんに怖い話をしてもらったんですよ。
もちろん、まだ100話にはたりませんけどね」
だからまだ話を続けてもらう、言外に僕が含めた意味に岩下さんが席を立った。
「どうして私たちがそんな事をしなきゃいけないの?
呪われたのはあなたなんでしょう?
私は帰るわよ」
声に不機嫌さがにじみ出ている。
「残念ですが、霊に話を聞かせてしまった時点でこの儀式の参加者をみなされてしまうんです。
だから呪われているのは僕だけじゃありません。
荒井さんも細田さんも新堂さんも倉田さんも福沢さんもみんな呪われてしまったんですよ。
ああ、風間さん。
もしかしたらあなたは大丈夫かもしれませんけどね。
呪われているか確かめたいなら、このまま帰ってみるのもいいかもしれませんよ?
もちろん岩下さんも。
5人でも怖い話は続けられますからね。
ただ、もし100話揃わなかったら……この場にいる全員が死ぬ事になりますよ」
僕の言葉を聞いている間、岩下さんはずっと僕の事をにらんでいた。
そして、僕の話が終わると、彼女は僕をにらみつけながらもイスに座った。
この部屋に漂う異常な気配が、僕の言葉を証明したのかもしれない。
「では、次の方お願いします」
こうして、7人目の語り手を迎えての、学校であった怖い話が始まった。
――そして恐怖は繰り返す――
完
稀に見る傑作。
A
おもしろい。
B
まあまあ。
C
標準ランク。人によってはB。
D
微妙。
E
読むのが苦痛なレベル。
F
つまらないを越えた何か。
×
エックスではなくバツ。よほどアレでない限り使わない。