前書き
本筋とはほぼ関係ないので興味のない方は「続きはこちら」を押して本文へどうぞ(検索サイト等から直接記事にアクセスしている方は「1.ゲームとは~」まで飛ばせばOK)。
最初に断っておくが、私はDLC(ダウンロードコンテンツ)なんて消えてしまえと言いたくてこの文を書いたわけではない。
この問題に興味を持って検索してみたものの、特定のDLCへの文句やどのDLCなら許せてどのDLCならアウトかという個人的基準を記した文章はあってもある程度の客観性をもって嫌いな理由を分析しているものが(少なくともグーグル検索10件以内には)なかったため、私が書こうというだけの話である。
ここは書籍のレビューを扱うブログである。時々アドベンチャーゲームのレビューを書くが、物語を楽しむという点で小説との親和性が高いと考えてのことだ。
だからこのブログでゲームに関する記事を書くことは場違いなのだが、私はここ以外に意見発表の場を持たないためそこには目をつぶるかたちとなった。
1.ゲームとは費用対効果があいまいな商品であること
ゲームの値段の基準はなんだろうか。
遊べる時間の長さ?データの容量?開発における人月?
ユーザーがゲームの適正価格を推し量ることは不可能だ。
発売当日に配信されるDLCやアンロックDLCが非難される理由はここにある。
ディスクには1万円分のデータが入っているけど使えるのはソフト代の7千円分だけという考え方のユーザーより、自分の払った代金の対価は本編だけではなくDLCも含むべきだと考えるユーザーの方が多いのだ(アンロックに関してはメーカー側がゲームをする権利を売っているという認識なのに対して、ユーザー側のそれがディスクという物品を買っているというものであるズレも考えられるが)。
牛丼の並盛と得盛なら牛肉代と米代が増えたのだとわかる。フルオプションの車と基本料金だけの車ならオーディオ代その他が増えたのだと納得できる。しかしゲームはそれができないのだ。
では、これまでゲーム業界がとってきた会計方法はというと1作何円というものである。
大企業の作ったディスク2枚組みの大作だろうが小規模メーカーの作った小品だろうが、あくまで同じ1作1タイトルであるという勘定だ。
作品によって2千円程度のずれはあるものの、基本的に映画と同じ感覚だったわけである(一応書いておくと映画とゲームでは1作いくらという料金設定になっている理由は違う)。
ところがゲームメーカーは突然プログラム単位での販売にシフトした。1作いくらではなく量り売りに変えてしまったのだ。各メーカーがソフトの価格に見合うと考える分しか収録しなくなった。同時に1作あたりの値上げも行い、ゲームの要素全てを楽しむためには今まで以上のお金を払わなければいけなくなった。
これによりディスクだけでは0.8タイトル程度なのにソフトの値段はこれまでと変わっていないという現象が起きてしまっているのである。
1タイトルにDLCを足して1.2タイトルになるという指摘があるかもしれないが、ボリュームが減ったから0.8タイトルなのではなく、全体の8割しか遊べないから0.8タイトルなのだ。DLCを含まない本編だけで1タイトルとみなす感覚を持たないユーザーは決して少なくない。
2.メーカーが売ろうと躍起になりすぎ
多くのメーカーがDLC配信に際してコンテンツを利用する入り口をDLC未購入ユーザーのソフトにも追加する。
ライオットアクトでは、オペレーターに付近で遊べるミニゲームを薦められマップ上のアイコンを頼りにその場所まで行くとDLCを買わなければ遊べない旨が表示された。
これは極端な例だが、DLCを買っていないのに選択肢だけは表示されるソフトがあなたの家の棚にも一つぐらいあるだろう。
なぜ買った客だけに表示されるようにしないのか。
メーカーとしてはできるだけDLCを買って欲しいだろうし、雑誌等のメディアに触れないユーザーにもDLCの存在をアピールするという意味合いがあるのだろう。
だがそれはゲームを起動するたびに宣伝文句を見せたりゲームプレイの快適さを損なってまで宣伝をしたりする理由にはならない。
ゲームを起動した時点でユーザーは代金を払うという段階を終えて楽しもうとしているのだ。一々宣伝を見せられては興ざめである。
宣伝文句は1度だけではなく何度も表示される。買わないという選択をした客に対して宣伝を続けるのはナンセンスとしか言いようがない。
はっきり言って表示されるのは情報ではなく広告に近い。TVやYoutubeを観ているわけでもないのになぜたびたび広告を見なければいけないのか。
一時期マクドナルドの過剰なセールストークがひんしゅくを買っていたが、言うなればDLCは食事を始めてもなおそれが続くようなものである。「ご一緒にポテトはいかがですか」「バリューセットが大変お得ですよ」
3.不完全版であるという感覚
上記2つの理由から生まれてしまうのが、代金を払ったはずなのにそれに見合うサービスを受けられていないという感覚である。
ユーザーは1作に対してお金を払っているつもりなのに(理由1)ゲーム中では遊べない要素がわんさかある(理由2)のだ。
さらに言うならDLCで配信されている追加キャラクターや追加ミッションといったものは、数年前なら隠しキャラクター隠しミッションとして誰もが遊べるものだったのだ。
当然、不満を覚える。
ここでこうしたユーザーの要求が正当かどうかを論じるつもりはない。贅沢だと一蹴するならそれもいいだろう。
だが、ユーザーを満足させられないというのは娯楽としてかなり痛いとだけ言わせてもらいたい。
4.メーカーとユーザーの溝
ここまで書いてきた理屈に目新しい部分がなく辟易している方がおられるかもしれない。当たり前すぎて誰も書かなかっただけだと思われる方もいるだろう。
だが、この当たり前に気づかない人は少なくないと思う。
ゲームファンにはメーカーの事情をくんでやろうという意思が薄いのではないだろうか。
というのも、ゲーム業界におけるメーカーとユーザーの関係は友好的とは言い切れないものがあり、その理由の大部分はメーカーがユーザーに不義理を働くことにある。
あの機種でしか発売しませんといった物をあっさり他の機種で出したり、完結編と言ったはずなのに続編が出たりと発言を翻すことが多々あるのだ。
数ある企業をメーカーというレッテルで一緒くたにするのは愚行だという指摘もあるだろうが、あのメーカーさえ気をつけていれば大丈夫というやり方ではやっていけないほどこういった事象は起きている。
結果として私がこれまで書いてきたような理屈を考える前に“またろくでもないやり口を思いついたな”と感じて完結してしまうのだ。
私自身、上の量り売りについて書いてる時に“メーカーがそこまで考えているのか?”という疑問は頭に浮かんだし、ただ単にもっと儲けられる方法を見つけたからそれをやっているだけなのではないかという見方を捨ててもいない。というか後者の方が優勢である。
稀に見る傑作。
A
おもしろい。
B
まあまあ。
C
標準ランク。人によってはB。
D
微妙。
E
読むのが苦痛なレベル。
F
つまらないを越えた何か。
×
エックスではなくバツ。よほどアレでない限り使わない。